<裁判員制度>良し悪しの判断は中身によってーー守山淳

2014-07-29

確かに陪審員制度はアメリカの手法です。しかしアメリカの如く人種のルツボで貧富の差が大きい
複雑な移民の国という背景を考えると陪審裁判制度の危うさは元来内臓していましたし有名なシンプソン裁判も財力に任せ有能と言われる弁護士を雇うと黒が白に変わる素地はアメリカにはあると思います。

さて日本は・・。単一民族で大きな貧富の差や価値観の差が少ない国である事を考えれば米国で失敗したから日本でも駄目だ、という論法には無理がある様に思います。
アメリカの制度であっても日本の裁判が国民の常識から懸け離れた法律の条文に縛られた判決が続いた反省からどうすれば修正出来るか、の視点で導入したとせば決して悪い事ではないと思います。

丁度今の憲法が米国製で日本に押し付けたからダメなのだ、という論法と同じでその中身が日本人が良しとする中身であるのか、問題ありとするのかで修正をするか否かの議論をすべきだというのと同じだと思います。私は専門家の裁判官が当初から自分達の仕事を否定されたとの被害者意識が根底にある為に今度の最高裁の判断になったと思っています。

前回も記した通り栽培院裁判の判決が従来より刑が重すぎるという最高裁の判決理由は逆に従来の裁判所の刑が軽すぎたのではないか、という検証がなされていないと感じます。そうした視点も一度検証した上で裁判員裁判制度をどうするのかを皆で議論すべきで最高裁が下した判断が最終という事はないと思います。何故ならこれは最高裁が言わば当事者の立場にいる訳ですから。

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