68年目の8月15日ーー反戦思想の原点

2013-08-16

記憶力の乏しい私には奇妙なことだが、1945年8月15日に私の周囲で起きたことは、いまでも鮮明に覚えている。母の実家のある山梨県で、小学2年生であった私は午前10時ごろ、学校から家に帰された。玉音放送が始まると、大人たちはいっせいに嗚咽した。私には何が起きたのか理解できなかったが、日本にとって重大で良くないことが起きたことだけは理解できた。

子供の生活は戦中も戦後も大差はなかった。ただ、戦後、大人たちの顔が少しずつ優しさを取り戻した。それにしても貧しかった。常に食料が欠乏し、子供たちは「何でもいいから腹いっぱい食べたい」と思いながら毎日を過ごした。大学に進学した頃から、曲がりなりにも腹いっぱい食べれるようになった。新聞社に入社後は、むしろ食べ過ぎ、飲み過ぎの生活を送った。それでも、私は子供の頃の空腹感を忘れられなかった。40歳、50歳になっても食い意地が張っていた。

東京と甲府で米軍機の空襲に遭い、命からがら逃げたこと、乗っていた中央線の列車が米戦闘機の機銃掃射を受けたこともある。しかし、私の戦争体験と直結するのは底知れぬ空腹感であり、私が抱く反戦思想の原点は子供の頃の空腹感であった。

今年1月、後期高齢者になった私が人生を振り返る時、小学2年生以降、日本が戦争に巻き込まれることはなく、私が戦場に狩り出され、他国の人々に対する殺人を強制されることもなかったことが最も幸せであったのではないかと思う。また、いまでも学徒動員を受け、特攻機に乗り込む自分を想像すると、心が凍る思いがすることがある。

一部の方々からは、愛国心に欠ける、意気地のない男と謗られるかもしれない。しかし、私の戦争体験に基づく人生観ないし思想は、いまさら変えようがない。私は、何としてでも、私自身が享受してきた「平和な日本」「戦争をしない日本」「国民を戦場に狩り出さない日本」を後世代に引き継ぎたい。その意味で、憲法9条を守るために全力を注ぐ。安倍晋三内閣が目指すような集団安全保障に反対する。

(早房長治、8月15日記す)

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