日本とドイツ、異なる戦後の状況ーー守山淳

2015-03-13

メルケル首相の発言が波紋を読んでいます。「過去に向き合え」という発言が独り歩きし中国・

韓国は我が意を得たりとの反応です。メルケル首相の「フランスが示した寛容」という部分を両国

は無視しました。岸田外相が「単純比較は適当ではない」との声明を出しました。日本は戦後全く

謝罪も反省もして来なかったのでしょうか。否です。戦争で戦禍に成った多くの東南アジア諸国は

今極めて親日的ですが何故中国と韓国だけが70前だけを大声で叫んで対日非難を続け戦後の日本

が両国に行った善意を国民にも知らせない政策を続けているのでしょうか。今後どんなに日本が謝

罪しても彼らは対日批判を辞めないと思います。それは自分達の失政を隠し国民の不満を外に向け

させるガス抜き政策が必要だからだと思います。

 

何時も興味あるご意見を頂く先輩から届いたメルケル独首相の来日と発信に対する意見です。先

日お送りしたプロパガンダの話しと「誤解されているワイツゼッカー演説」を踏まえて読んで見る

と色々な事が見えて来るメールですのでご紹介致します。

『ドイツのメルケル首相が訪日し日本の歴史認識に関して真実を認めるよう求めたがまるで示し

合わせていた様に中国の王毅外相が日本の歴史認識を非難した。しかし二人とも重要な事実を見落

としている。 即ち、日本が敗戦した時この世に中華人民共和国は存在していなかった。日本が国家

として戦った国は「中華民国」である。 中国に話を限定するなら日本は「中華民国」の領土の上で

戦争をしたのでそこには蒋介石率いる国民党の軍隊もいれば毛沢東が率いる中国共産党の軍隊もい

た。国共合作(国民党と共産党が協力して共にに日本と戦う)という時期もあったので中国共産党

の軍隊も日本軍と戦った時期があったし無辜の中国の民がその犠牲になったことはあった。 しかし

日本は敗戦に当たって国家としての「中華民国」に対して終戦協定として「日華平和条約」を19

52年428日に結んでいる。戦後賠償に関しては蒋介石が要求しないと言った為に友好的に戦

後処理が終わっている。ただし1971年に中華人民共和国が国連加盟し72年の日中国交正常化

の際に中国(中華人民共和国)が「中華民国」と国交を断絶することを条件としてきたので「中華

民国」とは国交を断絶し以後「台湾」と呼ぶようになった。 つまり戦争をした「中国」である「中

華民国」とは戦後処理をきれいに終わらせ友好的に交流し平和共存してきたのである。 これがドイ

ツがヨーロッパの隣国と戦後処理をうまく行なってきた事実と日本との第一の差である。メルケル

首相はこの点に注目していない。

もっと大きな差は日本は敗戦直後からアメリカに占領されマッカーサーやトルーマンらの言う通り

に動かなければならなかった。 真珠湾攻撃により先制攻撃を受けたアメリカは第二次世界大戦終盤

になると徹底して日本を集中攻撃し東京大空襲などにより日本を火の海と化し原爆投下により日本

を降伏させた。 だから敗戦直後、占領軍としてのアメリカは日本の完全な武装解除を実現させる為

に憲法第九条を認めさせたのである。処が1950年に朝鮮戦争が始まるとアメリカの態度は一転。

日本に自衛隊の前身である警察予備隊を作らせ武器を製造させた。そのアメリカは共産圏と対立し

日本を共産圏からアメリカ陣営を守るための極東の基地として位置づけるようになる。 その結果、

日本は共産圏と対立する構造の中に組み込まれ現在の中国と対立せざるを得ない立場になった。日

本には選択肢はなかった。 ようやく日中国交正常化が出来たのはキッシンジャーが同盟国である日

本にも知らせずに忍者外交により訪中し米中国交正常化への道をつけてからのことだ。この様にド

イツのヨーロッパ近隣諸国における戦後処理と日本の戦後処理は全く異なり日本には選択の余地は

なかった。アメリカの言う通りに動きアメリカのご機嫌をうかがいながらその意向に沿って動く以

外になかったのだ。メルケル首相も王毅外相もその事実を直視していない。もし歴史認識において

「真の事実を直視しろと言うのなら1945年8月15日時点、およびそれ以降の極東におけるこ

の事実をこそ直視しなければならない。そうしなければ日中の相克は永遠に続く。

中国にはもう一つ直視してほしい事実がある。 それは国交正常化後に日本がどれだけ友好的に中

国を支援してきたかという事実だ。あのころ日本国民は本気で中国を信じ熱い思いで中国を応援し

てきた。戦後賠償を毛沢東も周恩来も放棄したのでその代わりに巨額のODA(政府開発援助)を中

国に注ぎ込みそれにより中国は文化大革命による壊滅的な経済的打撃から脱し経済発展を遂げる礎

を築く事ができたのである。 天安門事件により西側諸国が厳しい経済制裁を中国に科したとき最初

にその制裁を解除して中国に又もや熱い手を差し伸べたのはほかならぬ日本である。しかし当時の

ソ連との間に中ソ対立があったからこそアメリカとも日本とも国交を正常化した中国は199112

月にソ連が崩壊すると対日姿勢は一変した。もう日本は必要でなくなったのである。92年に領海

法を制定して尖閣諸島(釣魚島)を中国の領土の中に組み込み94年からは愛国主義教育を始めて

95年からは反日傾向を増強させていった。 日本国民の厚意を最初に裏切ったのは中国ではないの

か。王毅外相は記者会見で「誰が最初に(日中関係悪化の)原因を作ったのか胸に手を当てて考え

るといい」という趣旨のことを言っている。 中国はその言葉を自分自身に対して発するべきだろう。

王毅外相はまた「被害者は加害者が反省してこそ心が癒されるものだ」と言った。 この言葉も中国

は自分自身に対しても言って欲しいと筆者は切望する。 1947年~48年中国共産党軍は国民党

軍を打倒するために国民党が占拠していた長春を食糧封鎖した。国民党軍は空輸による食料補給で

一人も餓死していないがあのとき長春市内にいた数十万の無辜の民(中国人)は餓死している。

しかし中国はこれを中国共産党軍の汚点として天安門事件同様に認めない。封印してしまっている

のだ。その中で家族を餓死で失い死体の上で野宿して恐怖のあまり記憶を喪失した者として筆者は

生きている限りこの事実を言い続ける。人類の歴史に刻むべきこの歴然とした事実を中国は絶対に

直視しようとはしない。それを直視してこそあの包囲網(チャーズ)内における犠牲者の魂は鎮魂

されるのである。中国には自国民に対してその義務がある。そういうことができる中国になればこ

うした一方的な非難を日本に対してし続けるという姿勢も変わってくるであろうからその意味でも

筆者は命ある限りこの事実を主張し続けるつもりだ。

王毅外相が8日、日本政府が発表する予定の「総理大臣談話」を暗示して過去の談話を踏襲する

よう言及すべきという趣旨のことを言ったのに対して菅官房長官は「わが国の戦後70年間の歩み

は民主的で人権や法の支配を守り国際平和に貢献してきた。そこは全く不変だ。世界からも高い評

価をいただいている」と述べた。 総理大臣談話に関して日本政府はわざわざ有識者会議を設けてい

るが有識者は日中関係におけるこのコラムで書いた事実をしっかり認識してほしい。これは中国で

生まれ育った筆者が身をもって経験してきた厳然たる事実だ。 日中両国とも互いに「事実」を認め

るのは結構なことだろう。しかしその事実を直視する目は一方的であってはならないし高圧的でも

卑屈でもあってはならない。一方ドイツと中国がこの7年間どれだけ深い蜜月関係を築いてきたか

を考えればメルケル首相の「戦後70周年目!」における訪日と中国の王毅外相の記者会見が「偶

然!」時期を同じくしたとは考えにくい。このタイミングでのメルケル首相の訪日を「中国経済に

も陰りが見えてきたから」とか「日中に対してバランスを考えたためでしょう」といった感じのめ

でたい解説が散見されるが日本人は誠に人がいいとしか言いようがない。あるいは、国の外交戦略

の狙いを見る目がないと言うべきか……。

中国がなぜ「反ファシスト戦勝70周年記念祭典」を「ロシアとともに!」盛大に行おうとしてい

るのか、なぜ日本を敗戦に追いやった「反ファシスト側の最大の国であるアメリカ」と組んでいな

いのか。 そのことを考えれば理由は歴然としている。 日米同盟があるためアメリカを困らせるた

めだ。アジア回帰しようとするアメリカのアジアにおけるプレゼンスを低めたいからである。ター

ゲットは日本ではない。』

 

如何ですか? 色々ご意見はあると思いますが表面的現象だけで理解する事の危険性、言葉の一部

だけをピックアップして報道するマスコミ姿勢の危険性。以前も何度か指摘をして来ましたが上記

の読み筋も日米関係を分断したい中国とその中国のどっぷりと経済関係で依存せざるを得ないドイ

ツの暗黙の連携という視点で読んで行くと納得感もある様に私には感じるのですが。

 

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