寿命100歳時代の生き方ーー守山淳

2015-11-16

時々頂く「国際派日本人養成講座」と題するメルマガで見つけた「寿命100歳時代の生

き方」を御紹介します。

■ 2045年に平均寿命は100歳に到達しているだろう:

平成26年の日本人女性の平均寿命は86.83歳で3年連続世界一を達成した。男性は

80.50歳で4位から3位に順位を上げた。長寿国として世界に誇れる記録である。

「いくら寿命が延びても寝たきりの状態では」と思う読者もいるだろうが介護が不要で日

常生活に支障なく自立して過ごせる「健康寿命」でも女性75.56歳、男性71.11歳

と男女とも日本が世界一であることを米国の研究チームが発表している。

厚労省は平均寿命が延びている理由として「がんや心臓病、肺炎、脳卒中などによる死亡

率が改善したことが要因」と分析し「医療技術の進歩や健康志向の高まりに伴っ『今後も

平均寿命は延びる余地がある』としている。いったい寿命がどこまで延びるのかという疑

問に近い将来、平均寿命は100歳に到 達するという予測がアメリカでなされている。

「そんな、馬鹿な」と思うかもしれないが論より証拠、日本人女性の平均寿命の伸び具合

を見て貰いたい。大正14(1925)年:43.20歳、昭和40(1965)年:72.92歳、

平成14(2014)年: 86.83歳。

近年ガン研究が急速に進展し再生医療技術の劇的な進歩で様々な臓器が再生・移植できる

ようになりかつ老化そのものを遅らせる技術も生まれつつある。世界の多くの研究者が

「2045年に平均寿命は100歳に到達しているだろう」と予測している。

■「働いてない人は目が死んでいる」:

平均寿命100歳の時代となると20歳から40年働いて60歳台で定年を迎えてもあ

と30年ほども時間がある。余生というには長すぎる時間をどう活用するか、考えなけれ

ばならない。世界トップの長寿国としてそのお手本を示す責務が日本にはある。

幸い我が国には長寿社会での生き方を探求している企業がある。60歳以上の高齢者の人

材派遣業を行っている、その名も「高齢社」である。同社の社長・上田研二さんはあるス

ナックのママさんの「働いているかどうかはひと目で分かる」「働いてない人は目が死ん

でいる」という言葉を紹介している。定年退職後の半年位は「定年万歳」と旅行、ゴルフ

カラオケなどで楽しく過ごす人もいるが半年もすると暇を持て余すようになり「毎日が日

曜日」の生活に飽きてくる。運動量が減ることもあって体重が増え体調が悪くなる。

いつも家にいることで家族からも邪魔者扱いされる。孤独を感じ「生きがい」が欲しくな

ってくる。これらの不安を一気に消し去ってくれるのが働くことだと上田さんは指摘する。

上田さんは東京ガスの孫会社で社長をしていたがガス機器や水回り設備の点検・修理など

の技術を持った人々が定年後も働く意欲満々なのでこういう人々に活躍の場を提供しよう

と新たに会社を作った。東京ガスの多くの幹部も「これからの高齢化社会にも寄与するこ

とだから」と後押ししてくれた。平成12(2000)年に60歳以上の社員30名で高齢社

をスタートさせた。さらに高齢の女性にも家事代行サービスの仕事を提供しその後も派遣

業務の幅を広げてきた。高齢の派遣者を受け入れる側も「仕事を丁寧にきちんとやってく

れる」「高齢の方でも元気に働いている姿を見ると周りも刺激を受ける」と好評だった。

上田さんは誰かに会ったら必ず「何かありませんかね」と高齢者の仕事の需要がないかを

聞く。「こういう仕事、やらせてもらえませんか」と自分から提案する。人手を欲してい

る職場と仕事が欲しい高齢者がきちんと出会っていないのが現状だと上田さんは指摘する。

高齢社はそんな現状を変えようと挑戦している。

そんな実例を紹介しよう。

■まずは朝の掃除から:

 高田圭子さん(65歳)は父親の介護のために57歳で早期退職した。60歳の時に父

が亡くなり第二の人生を謳歌しようと1年間、デッサンやアートワークショップに通った。

しかし年金だけでは生活は厳しいのでできれば好きな絵を活かして働きたいと思った。

地元のハローワークに通ったものの60過ぎで絵を活かせるような求人は見つからなかっ

た。そんな時に知人が高齢社を紹介してくれリフォームの会社で1年契約のパートして働

けることになった。高齢なのに簡単に勤め先が決まって正直驚いた。その会社は若いスタ

ッフが多く活気があった。高田さんは何からやったらよいのか判らないのでまず自分でで

きることとして朝の掃除から始めた。「それをやっちゃうとあなたがずっと掃除係になる

よ」と親切心から忠告してくれる人がいた。しかしみんなが気持ちよく仕事できるならそ

れでもいいと思い、やはりずっと掃除担当になったが後悔はなかった。それに加えて苦情

を言ってくるお客さんや難しいお客さんの対応は自ら進んで引き受けた。若い社員がスト

レスを受けるより人生経験のある自分の方が対応も容易だと考えたからだ。さらに手書き

でリフォーム後のパース(完成予定図)を描いてやると見積もりの際に役立つと皆が高田

さんに依頼するようになった。翌年にはパソコンでパースを描ける人が転入してきたので

2年で契約終了となったが最終日には真っ赤なバラの花束を職場のみんなからプレゼント

され、温かく見送ってくれた。充実した2年間だった。

■「そんな今の自分が一番好きです」:

 次の仕事も高齢社がすぐに紹介してくれた。段ボール構造を利用したフスマのメーカー

で企画提案のできる女性が欲しいとの要望だった。高田さんは手書きの紙芝居のような絵を

描いてお客さんに商品を紹介することを提案した。社長もそのアイデアに乗ってくれて一緒

に考えたりアドバイスをくれた。営業担当の人々からも「お客様に分かりやすい」と好評を

得た。社長は妥協のない人でまだまだ満足はして貰っていないが高田さんは社長が満足する

まで続けようと思っている。ある時高田さんの席の後ろに家電店の大きな箱が置いてあった。

社長がニコニコしている。開けてみると中から出てきたのはパソコンとペインターソフト。

手書きの味わいも良いが修正のたびに高田さんが苦労しているのを知っていてパソコンなら

そんな手間が省けるのではないかと社長は考えたようだ。「どうかなって思って買ってみた。

使えなくても全然大丈夫。これで遊んでいいんだからね」。最初は正直な所「参ったなあ」

と思ったがこういう機会を与えて貰って「なんて幸せなんだろう」と思い直した。「社長に

応えたい」と奮起して自宅で練習するために同じパソコンとソフトを買った。「そんな今の

自分が一番好きです」と高田さんは語っている。

■70歳で介護施設に就職:

 熊野忠孝さん(76歳)は現役時代は商社マンとして海外を飛び回っていたが63歳で定

年退職、その後商社時代に付き合いのあった会社で66歳まで働きさらに70歳までは週1

日の契約で別の会社の相談役をしていた。残りの6日間はやる事がなくいつか中国史を学ん

でみたいと思っていたので図書館通いも始めたがだんだん足が遠のいてしまった。大の甘党

なので饅頭や大福を食べながら朝からテレビを見ていると体重がみるみる10キロ以上も増

えてしまった。「体は重いし腰は痛いし困ったな」と思っているところに昔の職場の後輩で

介護施設を立ち上げた所長が熊野さんを入居対象者として勧誘しにきた。もちろん入居する

気はまるでなかったが「とにかく痩せたい」と思っていた所に「うちで働いたらすぐ痩せま

すよ」の一言。それから熊野さんは福祉専門学校に通い70歳手前でホームヘルパー2級と

在宅介護の資格をとって水曜から日曜までの週5日、介護施設で働き始めた。仕事の内容は

日帰りのデイサービス利用者の食事介助、入浴やトイレ介助を中心に施設内の清掃や厨房で

の皿洗いと何でもこなした。現役時代は一切家事をしてこなかったのですべての仕事が初め

てだった。入居者の抱きかかえ方、背中の洗い方などで「そんなんじゃダメだ」と叱られれ

ば「日本一の三助になろう」と努力し褒められればとても嬉しかった。朝5時に起きて通勤

2時間、施設には7時半に着いて夕方5時半過ぎまで働く。万歩計で計ると毎日1万4~5

千歩も歩いていた。わずか半年でかつての体重に戻った。

■「今日も一日お疲れ様」:

 施設の仕事は人対人だ。仕事だから相手も遠慮しないしごまかしは効かない。入居者は80

代が中心で70代の熊野さんが出勤すると「おじいが来た、おじいが来た」と喜んでくれる。

元魚屋さんや元パン屋さん、元校長がいたりで元商社マンの熊野さんの知らない世界の話が聞

けるのはとても新鮮だった。熊野さんも商社マン時代に全国あちこちで仕事をしていたので、

それを話す。日々の仕事に加え「先生」役も始めた。「五七五の会」と称して川柳のような

5・7・5のリズムの詩を入居者の人たちと作る。「梅」「節分」「春」などと題を出してみ

んなの前で発表して貰う。レクリエーションに参加することを頑なに拒み続けていた男性がい

たが「梅で一句!」と声をかけたらその男性はつい乗せられて一句すらすらと書いた。それを

褒めるといつも怒ったような顔つきをしていたのにとても嬉しそうな表情になった。以後積極

的にレクリエーションに参加してくれるようになった。一日の仕事の後には一杯の缶コーヒー

を飲む。「今日も一日お疲れ様」という自分なりの儀式でこれが今、一番の幸せの瞬間だ。

介護の仕事は決して楽ではないがやればやるほど手応えがある。奥さんとの仲もとても良くな

った。熊野さんはそんな今が一番幸せだと感じている。

■「定年後に働くと、いいことずくめ」:

 高齢社の社長・上田さんは「定年後に働くといいことずくめだ」と言う。まず健康にいい。

働くことで元気になる。熊野さんは毎日1万4、5千歩も歩いて働くことで半年で太りすぎを克

服した。適度な緊張感と責任感が元気な体をつくり健康寿命を延ばしてくれる。第2に働いて稼

いだお金はいい「お小遣い」になる。貯蓄を取り崩して遊ぶことには抵抗を感じる人が多いが自

分で稼いだ金は孫に何か買って上げたりゴルフにも気分良く行ける。第3に「生きがい」を感じ

られること。遊んでいるだけでは自分がこの世からいなくなっても誰も困らない。職場で頼りに

されることで自分自身の存在意義を感じることができる。社会にとっても少子高齢化で人不足に

なったりまた農業や介護など若い人が行きたがらない分野がある。そういう分野で高齢者が進ん

で仕事をすることで社会への恩返しにもなる。

■体が動くうちは働いて世の中のお役に立つことが幸せ:

 我が国は長寿社会として世界の最先端を走っているが同時に我が国の文化伝統には長寿社会に

適した労働観がある。キリスト教文化では労働とは知恵の木の実を食べたアダムやイブが神から

与えられた罰とされている。だから早く金を貯めて退職し気ままな余生を送ることが夢になって

いる。そのため働かない余生がいかに虚しいか、という事に気がつかない。欧州ではまだ伝統的

な家族制度が根づいていて老人は孫の世話など家庭内の出番があるから良いがアメリカでは仕事

もなく家族からも切り離された老人が寂しく公園で時間をつぶしている。筆者もアメリカに留学

した頃、歓迎パーティで出会った老婦人から初対面なのに「ぜひ遊びに来てくれ」と懇願するよ

うな顔つきで誘われて返事に窮したことがあった。家族も仕事もない余生とはかくも寂しいもの

なのだなと感じたものだ。それに比べれば我が国は高天原の神々でさえ田畑を耕したり機織りを

したりして働いている。体が動く限りは働いて世の中のお役に立つことが幸せなのだというのが

我が国の労働観である。こういう社会では商社マンとして功成り名遂げた人が70歳から介護の

仕事についていても尊敬されこそすれ誰も軽蔑したり不思議がったりはしない。60過ぎの老婦

人が仕事に役立てようとパソコンと悪戦苦闘していても職場で応援されることはあっても、から

かったりする人はいない。

この崇高な労働観が伝統文化として根づいているのが日本社会の美風である。その美風をますま

す広めて100歳になっても世の中のお役に立つ仕事をすることが幸福だという生き方を多くの

国民に実践して貰いたいものだ。そんな「寿命100歳」時代のお手本を世界に示す事は国際世

界に対する貴重な貢献となろう。

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 守 山  淳 経営コンサルタント オフィス J.M.代表
   〒107-0062 東京都港区南青山3-12-12 南青山312ビル 604号室
   携帯電話 : 080-1075-6266   FAX : 03-6459-2112
   E-MAIL: jun1207@abox2.so-net.ne.jp

URL: http://officejm.com/

自宅: 〒107-0062 東京都港区南青山4-15-16-301

      電話・FAX: 03-3796-5566

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コメント1件

  • hayabusa | 2015.11.16 16:21

    どの方も明るく前向きなのが素晴らしいですね。特にシニアになっても肉体労働に立ち向かう勢いに感心します。できたら見習いたいですが、生まれつき仕事が嫌いな私には無理かも。

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